大阪は、千里ニュータウンの中心といえば千里中央です。そのすぐ近くで育ったワタシは、20年以上の京都暮らしを経て、今またそこに戻って暮らしています。
昔も今も千里中央に行ってぶらぶらすると、必ず目にとまるのが「千里阪急百貨店」
小さい頃は、ここの大食堂でよく食事したことを覚えています。昔の百貨店には必ずこういった大食堂があったような気がします。迷子アナウンスのお世話になったこともありましたね。
そして、百貨店の増床が盛んに行われた頃、ここ千里阪急も増床され、その後耐震補強工事もされたように記憶していますが、それでもこの特徴的な外観は忠実に残されてきました。
千里中央エリア一帯の大規模再開発を控え、まず「セルシー」と呼ばれたエリアが閉鎖され、この4月末には現在「オトカリテ」と呼ばれる商業施設(元・大丸ピーコック)が閉店となります。おそらく千里阪急も数年以内に閉店になることでしょう。
もちろん、より一層素敵な施設が誕生するのでしょうが、人生がほぼ丸々千里中央の歴史と被るワタシとしては寂しく思うことしきり。
でも、昔から続いてきた町というのは常に人も建物も入れ替わりつつ歴史を作ってきたわけで、その流れがなくなるということは滅びと同義でしょう。家一軒をとっても、人が住まなくなるとすぐに痛んでしまうと言われるくらいですから。
だから千里ニュータウンもこれからの歴史を紡いでゆくためには新陳代謝が必要なのだと思います。実際、ここ最近は古くなった団地が建て替えられたり新たなマンションなども増えてきたおかげで、千里中央も若い家族連れでいつも賑わっていますから。
ただ、千里ニュータウンが他の町と違うのは、これが初めて迎える変革期、世代交代というところでしょう。70年万博に合わせて一気に開発されたニュータウンにとって、時代を超えてゆけるのかどうかの初めてのチャレンジなのです。
そう考えると「古き良き時代」ばかりにこだわっていてもいけないなと思いますが……それでも割り切れないのが人の心ですね。なんと言っても、今まであったものの多くは「町が生まれた時からあった」ものだから余計にそう感じるのでしょうか。
そんなことを思いつつ、今日もワタシは千里中央からモノレールに乗り、太陽の塔を眺めつつ、京都でのお仕事に向かうのです。